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子ども、子育て…大切なことって何? そんなヒントになれたらいいな。

 

更新日2011年5月9日 (月曜日)
デジタルでは 育たない。 アナログだから 育つもの。

一月、ざぼんちゃんでは「お正月あそび」を行います。 例えば、羽根つき・コマまわし。
それは、出来ても出来なくても、 何度でも挑戦したくなる、興味をそそられるあそびであり、
だからこそ、出来るようになりたい!頑張ろう!という努力。 単純なあそびだからこそ、
どうすれば出来るようになるのか… 考える工夫と集中力。 そして、その奥深さと想像力。
そこに新しく生まれる展開。 日本伝統の「あそび」は、「内面」「精神面」を、
「強く育てる」ものが、多いようです。

 

 

予防接種について!

冬の代表的な風邪といえば、「嘔吐・下痢」や「インフルエンザ」
やはり、普通の風邪とは違い、とてもきつい思いをする病気です。インフルエンザにかから
ないため、またお友だちに移さないため… もし、かかっても軽度ですむように予防しておく
ことは、必要ですね。 最近では、世間を騒がしている新型インフルエンザのおかげもあり、
インフルエンザに対しての意識が高まっていて予防接種を受ける方が増え続けています。
お子さまが体調が悪いからと言ってお仕事を休まなければならないリスクを考えると、
親子で受けておいた方がいいですよ…ね!

 

 

「あそぶ」って、何?

人は、生きていく手段として仕事をします。
仕事なしでは、「衣・食・住」という基本的生活の保障があり得ないからです。
仕事あっての現在の生活、そして自分。だとすれば、仕事が中心になるのはあたりまえ
のことです。 しかし、あえて述べることもありませんが、誰だってあそびたいと思うことは
当たり前の願望です。 さて、子どもはどうでしょう。
大人と同様、生きていくための手段として「あそぶ」のです。
あそびなしでは、「衣・食・住」という基本的生活の保障はあり得ないのです。
一見大げさに思えることですが…。 では、なぜ?

あそびあっての現在の自分。だとすれば、あそびが中心になるのは当たり前。
そこからの体験、経験を土台に人間形成の第一歩を踏み出すことになるわけ
だし、大きな可能性に向かってこれからの人生の「生きる力」を養う大切な
基盤作り。それが、子どもにとっての「あそぶ」という行動なのです。
単に子どもだからあそぶのではなく、生きるものの当たり前の行動であり、
そこには大切なことがたくさん詰まっている「知恵袋」のようなものなのです。

 

 

子どもは、親の背中を見て育ちます。

いつの時代も、変わることはありません。 何気なく行っている親の行動。しぐさ。 どんなこと
でも、しっかり見られているものです。 思い当たることは、ありませんか?
子どもが、おしゃべりをし自分の意志を表現できるようになるまで 子どもは何もわからない…
と思っていませんか? この時期こそ、子どもは何も言わず、ただ親の行動、言動をじっと観察し
もうすでに学習し、習得しているのです。 だから、子どもが表現できるようになってからしつけを
しようとしても なかなかうまくいきません。

 

 

人と関わると言うこと。
それは、生まれたときから始まっています。そして、その世界は大きくなるにつれてどんどん
広がります。いろんな人との関わりは、絶対的に必然性を伴っています。まず家族。そして
それを囲む親戚の方や友人。こうして、おうちの方以外の人との関わりは増えていきます。
その中で、親もとを離れ子ども同士が関わる集団生活は、とても意味ある体験となります。
…というのも、親もとから離れたこの集団生活こそが「社会性」を学ぶ第一歩だからです。
…と同時に、自立を促す良い機会でもあります。「自分」を認識すると同時に、自分以外の
人間を知る「きっかけ」になるし、一緒に生活することで、あそびやケンカを通じて相手の
気持ちが分かるようになります。文章にすると、何事もなくすんなり受け入れるかのように
思えますが、子どもとは言え「喜・怒・哀・楽」一つの人格をもった人間です。子どもは子ども
なりに自分の世界で葛藤を感じています。そして、それらを理解し解決しようと本能で
考えます。決して大人が想像するような重いストレスではなく、ごく自然なことです。
これもまた、生きる力のトレーニングと言えば、お分かりいただけるでしょう。そんな中、
すべてが自分の思うようにいかないとき、そこには相手の気持ちもあるのだと、
本当の意味で社会性を学ぶ小さな一歩に見える「大きな一歩」なのです。

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